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関ヶ原・琵琶湖周辺_2011(h23).11.24

 11月16 〜 19日 関ヶ原・琵琶湖周辺を回ってきました。
17 日には 「奥の細道温泉紀行 (嵐山光三郎氏著)」 に載っていて、一度泊まりたいと思っていた温泉旅館 「紅鮎 (BENIAYU)」 に泊まることができ念願が叶いました。

 2011(h23).11.24   G.Kitoh

関ヶ原町大字山中 常盤御前の墓_2011(h23).11.17

 貞享元 (1684) 年秋、芭蕉は大和から山城、近江路をたどり美濃大垣に至っています。
この時常盤御前の墓を詣で句を読みました。

常盤御前の墓

 わが子牛若の後を追った常盤は、この地で盗賊に襲われ亡くなったと伝えられています。
常盤と乳母の塚が二つ並んでいて花が供えられていました。
左奥が芭蕉の句碑です。


「義朝の」句碑

 「義朝の心に似たり秋の風」義朝は平治の乱を起こしたが、破れて尾張で殺されました。
常盤御前は義朝の愛妾でした。椿の実が墓の周りに落ちていました。


関ヶ原町松尾 不破関(ふわのせき)跡_2011(h23).11.17

不破関跡

 中山道を通り芭蕉は不破関を訪ねています。
不破関は、天武天皇が設置し愛発(あらち)関、鈴鹿関とともに古代三関といわれています。


「秋風や」句碑

 不破関跡の屋敷裏側に芭蕉の「秋風や藪も畠も不破の関」句碑があります。


旧中山道

 芭蕉が歩いただろう旧中山道を歩きました。道ばたの枯れススキが秋の風にゆれ ていました。

長浜市高月町 渡岸寺 (どうがんじ) 観音堂_2011(h23).11.17

 8月16日 お盆法要で参った寺で 「天台ブックレット」 という小冊子をもらいました。
その中に、湖北の高月町 (現長浜市) にある 向源寺 (こうげんじ 渡岸寺観音堂) には、国宝の十一面観音が祀られています。
慈悲にあふれた優しいお顔と、えもいわれぬ実に優雅なお姿の観音さまです、と書いていました。
紅鮎には高月駅(たかつきえき)で降りて向かいます。それで渡岸寺観音堂を訪ねました。

渡岸寺観音堂

 向源寺と渡岸寺の関係はと考えていましたが、渡岸寺は地名だそうです。
向源寺の飛び地、渡岸寺にある観音堂と理解すればよいようです。


十一面観音像

 観音像は収蔵庫に納められています。
後ろ姿も見ることが出来、頭上後部の暴悪大笑相 (ぼうあくたいしょうそう) は、私の心を見透かして笑ってい るように感じました。
1時間ゆっくりと拝観しました。

長浜市湖北町 温泉旅館・紅鮎_2011(h23).11.17〜18

 芭蕉が好んだ琵琶湖の風景。その琵琶湖を間近に望むことができる静寂な 温泉宿と知りいつか泊まろうと考えていました。

客室露天風呂

 全室が琵琶湖に面し、客室露天風呂がついています。琵琶湖に落ちる夕日と竹生島を眺めました。

夕食

 夕食は京風会席にしました。
焼肴は銀聖の粕漬けでした。銀聖(ぎんせい)は北海道日高のブランド鮭です。滋賀県でお目にかかれるとは…。


大津市堅田_2011(h23).11.18

 堅田(かたた)には芭蕉句碑がたくさんありました。

浮御堂「比良三上」句碑

 浮御堂(うきみどう)で有名な満月寺(まんげつじ)。ここには芭蕉の句碑が二つあります。 左側の句碑「比良三上雪さしわたせ鷺の橋」です。湖水の眺望という 前詞がこの句にはあります。元禄3年に詠まれたものです。


浮御堂「鎖あけて」句碑

 「鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂」
元禄4年8月16日 十六夜の観月の際詠まれた句です。浮御堂に吟行しての前詞があります。


祥瑞寺 (しょうずいじ)句碑

 「朝茶のむ僧静かなり菊の花 」 堅田祥瑞寺にての前詞があります。
一休が青年時代修行を積んだ禅寺の雰囲気を詠んでいると思います。


其角寓居跡 (きかく ぐうきょあと)

 其角(きかく)が芭蕉の門に入ったのは、延宝2(1674)年といわれています。この時芭蕉31歳、其角14歳でした。
其角の父 竹下東順 (たけしたとうじゅん)は堅田の出身で、其角はその堅田に時々寄っていたそうです。


本福寺・芭蕉像碑

 本福寺(ほんぶくじ)の住職千那 (せんな) は、芭蕉の古い門人です。
嵯峨日記には、堅田 本福寺11世住職千那が落柿舎の芭蕉を訪ねて泊まったことが記されています。
そのような縁でしょうか、芭蕉の像を彫った碑が建っています。



本福寺「病雁の」句碑

 庫裏の庭に 「病雁の夜さむに落ちて旅ね哉」 の句碑があります。
元禄3年 堅田で風邪をひいて休んでいたときの作です。


大津市唐崎_2011(h23).11.18

 唐崎は唐崎の松で有名です。

唐崎の松

 松は想像していた以上に大きなものでした。この松は大正時代に植えられた3代目ということです。


「唐崎の」句碑

 句碑は松の下にあって、柵があり中には入ることができません。全部を撮ることに苦労しました。
「唐崎の松は花より朧にて」の句は、貞享2年に湖水の眺望という前詞とともに詠まれています。
芭蕉は“辛崎”と詠みましたが碑は“唐崎”の文字を使っていました。


      
      
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