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名古屋・長野・大阪_2011(h23).05.18

 5月18 〜 21日、名古屋・長野・大阪を回りました。

 2011(h23).5.18   G.Kitoh

名古屋市熱田区_2011(h23).05.18

熱田神宮

 芭蕉は貞享元(1684)年に旅立った「野ざらし紀行」の中で、
秋に熱田神宮を詣で、「社頭大いに破れ、築地は倒れて草むらに隠れる」と述べています。
ところが、貞享4(1687)年の「笈の小文」の旅では、
11月24日に熱田神宮を参詣し、熱田御修復(みしゅうふく)「磨(とぎ)なほす鏡も清し雪の花」の句を詠んでいます。

林桐葉宅跡

 芭蕉は、熱田では林桐葉の所を宿にして何度も泊まっています。
嵐山光三郎氏は桐葉は旅籠をいとなむ、と書いています。
桐葉宅跡は看板だけでした。

あつた蓬莱軒

 林桐葉宅跡の左にあるのが、ウナギひつまぶしで人気の店 「あつた蓬莱軒」でした。
芭蕉紀行文集の脚注に、熱田神宮は一名「蓬莱宮」と書いています。この付近は蓬莱 と呼ばれていたのでしょう。
食べ終わって外へ出ると来客が並んでいました。


七里の渡し

 蓬莱軒から歩いて10分ほどの所に七里の渡し(宮の渡し公園)があります。
熱田は東海道41番目の宿場で「宮の宿」と呼ばれていました。ここから海上七里を渡ると 桑名に着きます。
時間は午後7時を過ぎて暗くなっていました。


長野県_2011(h23).5.19

長野県木曽郡上松町「寝覚の床(ねざめのとこ)」

 「笈の小文」の旅を終えた芭蕉は、貞享5(1688)年8月11日美濃を出発して更科の 月見に旅立ちます。
これが更科紀行です。
5日間かかって更科の地に到着しましたが、特急では名古屋から長野まで3時間です。
「桟はし・寝覚など過ぎて」と紀行で述べている寝覚の床を車窓から撮りました。

善光寺大本願

 善光寺で芭蕉は「月影や四門四宗も只一つ」という句を詠みました。
句碑は善光寺手前にある大本願(浄土宗の本坊で住職は善光寺住職を兼ねる)に建っています。

大本願句碑


句碑解説

西光寺

 苅萱親子ゆかりの寺です。此処に、親子を詠んだ一茶の句がありました。
実は、この寺に信濃最古の芭蕉塚があったのですが、訪ねたときにはそのことを失念していました。

西光寺一茶句碑


千曲市八幡(やわた)_2011(h23).5.20

姨捨駅

 この駅から見る善光寺平の風景は素晴らしいということで、長野から普通電車に乗って 訪ねました。
スイッチバックして姨捨駅ホームに到着。
少しかすんでいますが、千曲川に沿った景色が広がっています。
駅側のホームには、「おもかげや姨ひとりなく月の友」の句碑があります。

姨捨駅案内板


姨捨駅句碑


長楽寺

 駅から 15 分ほど下がったところにある長楽寺には、いくつもの句碑が並んでいます。
山門横にある「芭蕉翁面影塚」には、「おもかげや」の句と、明和6(1769)年という建立年が彫られていました。
後ろの建物は月見堂です。

長楽寺句碑


姨捨公園

 長楽寺から駅に戻る途中で、姨捨公園に寄りました。
ここからは棚田がよく見えました。水が張られ、田植えが始まっていました。
また、此処に建つ「元日に田毎の日こそ恋しけれ」の句は、芭蕉が元禄2(1689)年元日に詠んだものです。
更科の月と風景がよほど印象に残ったのだろうと思いました。

棚田


「元日に」 句碑


大阪府_h23.5.21

大東市 「野崎観音」

 野崎小唄で知られる野崎観音(慈眼寺)です。ここに芭蕉句碑があると分かり訪ねました。
 1) 参道を過ぎると階段が続き、上がった所に 「野崎参りは〜」 の歌碑
 2) 本堂裏の丘に「観音のいらかみやりつ花の雲」の句碑
 3) 境内茶店の庭に「涅槃会や皺手合する数珠の音」の句碑
 があります。これらの句を、芭蕉は江戸で詠んでいます。

野崎観音参道

野崎小唄歌碑

「観音の」句碑

涅槃会(ねはんえ)や」句碑

      
      
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