大阪・京都_2010(h22).11.18
h17年、京都金福寺に芭蕉庵を訪ねました。
この時、荒廃した芭蕉庵を再興したのが与謝蕪村とわかりました。寺内には蕪村の墓がありました。
そのようなことから、蕪村の生まれた摂津国毛馬(大阪市都島区毛馬町)にある蕪村の句碑を見てき
ました。
2010(h22).11.28 G.Kitoh
毛馬閘門(けまこうもん)_2010(h22).11.18
淀川と大川(旧淀川)が分かれている所が毛馬です。これは大川から見た閘門です。
淀川と大川の水位をこの閘門で調節しています。
右の道を行くと句碑があります。
蕪村句碑(大阪市都島区毛馬町)
蕪村の句碑は淀川に向かって建っています。「春風や堤長うして家遠し」の句が彫ら
れています。
故郷に帰ることがなかったという蕪村、故郷の家は遠かったのでしょうか。
鞍馬寺(京都市左京区鞍馬本町)_2010(h22).11.19
鞍馬寺は芭蕉と関係はありませんが、叡山電鉄に乗車することと鞍馬寺への 山道が登って見たくて行ってきました。
鞍馬寺仁王門
鞍馬駅のすぐそばに仁王門があります。紅葉がきれいでした。ここから鞍馬寺
金堂まで歩いて来ました。
叡山電鉄
帰りの電車はパノラミック「きらら」でした。
h18.07.08 の日経新聞で叡山電鉄が紹介されていました。今回乗車できて念願達成です。
芭蕉堂(京都市東山区南鷲尾町)_2010.11.19
出町柳から京阪電車で祇園四条下車、芭蕉堂へ向かいました。
芭蕉堂全景
芭蕉堂は小さな小屋です。
芭蕉像
堂の中には森川許六が彫ったという芭蕉像が置いてありました。
芭蕉堂図
芭蕉堂は19と21日の2日、20年ぶりに一般公開されたことをお世話してい
た方から伺いました(立命館学園創立110周年記念の一環)。
偶然の幸運にこれも芭蕉の引き合わせと感謝しました。公開時間も過ぎていたのですが
北海道から来たということでこの絵を頂戴しました。
芭蕉終焉の地(大阪市中央区久太郎町)_2010.11.20
芭蕉終焉の地と句碑がある南御堂を訪ねました。
終焉の碑
容態が悪化した芭蕉は南御堂前の花屋の静かな座敷へ移りましたが、
元禄7(1694)年10月12日亡くなりました。今この場所は緑地帯で両側
を車が激しく通り過ぎていきます。
南御堂境内句碑
終焉の碑の斜め向かいにある南御堂の境内には「旅に病でゆめは枯野を
かけまわる」の句碑があります。
句碑の斜め奥には芭蕉の葉が大きく伸びていました。