Home > 松尾芭蕉の足跡を行く > 平成22年(2010)落柿舎
京都市嵯峨野 「落柿舎」
落柿舎 は芭蕉の門人向井去来の閑居でした。
芭蕉は元禄4(1691)年4月ここに滞在し「嵯峨日記」を記しています。
元禄7年芭蕉が亡くなった後、去来は、落柿舎と前詞して 「 放すかと 問(とわ)るゝ家や冬ごもり 」 と詠んでいます。
2月の落柿舎には訪れる人もほとんどなく、冬ごもりのようでした。
京都嵯峨野 「去来の墓」
落柿舎の少し奥に去来の墓があり、小さな墓石が建っています。
芭蕉を葬った翌年春に義仲寺を詣でた去来は 「 石塔も はや苔づくや 春の雨 」と詠みました。
その去来は、芭蕉没後10年経った宝永元(1704)年に 53 歳で亡くなっています。
無常迅速を思いながら佇んでいました。
京都嵯峨野 「広沢池(ひろさわのいけ)」
広沢池は観月の名所であり、冬に水を抜いて鯉上げすることで知られています。
ここに 「 名月や 池をめぐりて 夜もすがら 」の芭蕉の句碑があるということで行ってきました。
実はこの句は、貞享3(1686)年8月15日江戸の芭蕉庵で月見の会を催しそこで詠まれたそうです。
池後方の愛宕山に白い雪が見えました。